長崎県立諌早高校出身でドイツ在住の作曲家、山口恭子さんのリポートが最新号11ページに掲載(一部抜粋)されています。
里帰り講演会は3月5日土曜日18時半から諌早メモリードホールで開催。演奏や曲解説もあります。山口さんのインタビューの全文をご紹介します。講演会のお問い合わせは森さん090-1199-8862までお願いいたします。
1、音楽に興味を持ち始めたきっかけ
音楽を聴くと楽しそうに身体を動かす私の様子を見た叔父(ピアノ調律師)の勧めで3歳からヤマハ音楽教室に通ったので、自分自身の意思以前に音楽が身近にある環境を両親に整えてもらいました。ヤマハのカリキュラムに自作自演(自分で作った曲を自分で演奏する)が組み込まれていたので、曲も6歳くらいから作っていました。小さい頃からピアノを弾くのはとても好きでしたが、ピアノの練習をする(他人の作った曲を弾く)のは、小学校高学年になるくらいまではそんなに好きではありませんでした。ただ学年が上がり、いろいろな作曲家の様々な作品を弾くようになってから、俄然ピアノの練習へのモチベーションが上がりました。それでもずっと作曲は続けていて、やはり自分の曲を作ることが一番楽しかったです。音楽を将来的に自分の専門とすることは比較的早い時期(中学生の頃)に決めましたが、ピアノか作曲かというような選択ではなく、最初から「私は作曲家になる」と思っていました。
2、東京芸大に行く前の多感な時期に、触れた恩師の言葉や思い出
やはり何と言っても、ヤマハ音楽教室長崎うおのまちセンターの草野幸子先生にはお世話になりました。草野先生のところへは小学1年から大学入試直前の高校3年まで通っていましたが、先生はピアノを教えてくださっただけではなく、音楽全般への興味を開いてくださり、更に私に必要な出会い(作曲の先生やいろいろな楽器の演奏家)も必要なタイミングでアレンジしてくださいました。草野先生はとても厳しく、あまり誉められた記憶はないのですが、私ががんばれるように常にバックアップしてくださっていたと思います。そのことには今でもとても感謝しています。そうして草野先生を通じて知り合った先生方や音楽家の方々からも、音楽の楽しさや奥深さ・音楽を専門とすることの厳しさを教わりました。
3、ドイツを選んだ理由
音楽を専門として勉強を続けるうち、私が書いている音楽のルーツはヨーロッパにあることを強く感じました。その音楽が生まれた地に実際に住み、その空気を吸いながら自分自身の音楽の在りかたを見つめ直したいと思い、28歳でドイツの音楽大学に留学しました。現代音楽が盛んなヨーロッパの国は他にもありますが、私自身がクラシックも現代音楽もドイツ系の音楽が好きだったこと、ドイツの音楽大学で教えている作曲の教授とコンタクトが取れたこと、そして何よりドイツ語の響きが好きだったことが大きな決め手になりました。今でもドイツに住んでいる理由はたくさんありますが、一番の魅力は時間の流れが日本よりもゆったりしていることでしょうか。
4、オーケストラ作品「だるまさんがころんだ」に関する思い
この曲はデュッセルドルフで当時毎年行われていた文化フェスティヴァル「アルトシュタットの秋」の委嘱で1999年に作曲し、その年のフェスティヴァルで初演されました。私は当時まだ音楽大学の学生でしたが、私にとってこの曲は初めて公の場で演奏されたオーケストラ作品であり(それまでにもオーケストラ曲は数曲書いていましたが、実際に演奏されたことはありませんでした)、またドイツで初めてお金を頂いて書いた曲でもありました。幸運なことにこの曲が翌2000年の芥川作曲賞にノミネートされ、東京で行われたその本選演奏会に観客としていらした岩城宏之さんに聴いていただけたことは、私の人生の一つの大きな転機にもなりました。当時はまだ30歳、作曲の技術的には荒削りなところもたくさんありますが、若さゆえの勢いの良さが魅力でもあり、また今の私の音楽に繋がる要素もたくさんあり、私にとってとても大事な一曲です。
5、音楽を続ける理由
私が書いている、いわゆる現代音楽の社会における意味や認知度を考えると、本当に憂鬱になることばかりなのが現状です。現代音楽がこの世からなくなっても、誰も困りはしませんし、それどころか誰も気付きもしないかもしれません。でも私には表現したいと思うことがあります。言葉で、絵や写真や映像で、あるいはダンスや演劇など自分の肉体を使って何かを表現する人々がいて、そういう人たちを世の中は総じて芸術家と呼びますが、私は音楽(音)を使って表現することが一番得意なので、それを手段に自分が表現したいと思うこと、伝えたいと思うことを楽譜に書いています。そして演奏家を通して私の表現したいと思うことが聴いている人に伝わることを願っています。仮に私の音楽を聴く人が、私の意図と違う聴き方をしたとしても、私の音楽からその人なりに何かを感じてくれたら、その心の動きだけでも充分なのです。音楽には人の心を動かす力があると私は思っています。私が音楽を続けるのは、自分に表現したいことがあり、「音楽の力」を信じているからです。
6、曲作りの構想は、どのようなところから生まれるのか
私は普段から物事をじっと観察したり耳を澄ませて音を聴くことが好きです。そうした普段の生活の中で観察したことや聞こえてきた音が、後々曲を作るときの音のイメージに繋がることが多いです。空中を漂うクモの糸や水栽培の植物の根が伸びる様子、散歩中に聞こえてきた鳥の鳴き声など、すべてが自分の曲を書く際のインスピレーションに繋がる可能性があります。読書や映画鑑賞も好きなので、そういったものからアイディアを得ることも多いです。また、どういう楽器のために曲を書くのか、という楽器編成もとても重要な役割を果たします。曲を書くときは、あらかじめ楽器の編成を指定されていることがほとんどなのですが、その場合、楽器によって音域も音色も演奏技術も全く異なるので、それぞれの楽器の特性を出来る限り生かすよう心を砕きます。また複数の楽器を組み合わせる場合は、いくつかの楽器を組み合わせることによってしか出せない響きを作り出すよう心掛けています。
7、普段の生活と音楽との因果関係について、感じること
先ほどの質問への答えと少し重複しますが、私の場合は普段の生活と自分の書く音楽とはどこかしらでいつも繋がっています。ある人の書く文章が、その人の考え方や世の中への向き合い方を映し出すのと同じように、音楽も、作品にはその作曲家の意識や人生経験が映し出されるはずです。現代音楽の歴史の中では、そういう作曲家の背景や感情を全く反映しないことを前提に曲が書かれた時代もありましたが、私自身は音楽を通して表現することを目的にして曲を書いているので、普段の生活と私自身の書く音楽とを切り離すことは出来ません。
8、故郷へ寄せる思い
諫早は私が生まれてから大学に入るまで18年間過ごした街で、私の背景を作ってくれた大切な場所です。その後10年間東京に住みましたが、結局都会の忙しさに完全には馴染めないままにドイツへ移りました。今住んでいるデュッセルドルフという街は緑が多く、人ものんびりしていて、諫早にちょっと似ているところもあるような気がします。諫早で小さい頃に聞いた蛙の大合唱や山鳩の鳴き声、やさしい多良岳の山並みなどの様々な自然が今の私の音楽へ大きな影響を及ぼしていると思います。なかなか頻繁に帰省することはできませんが、帰ると本当にホッと力が抜けてくつろぐことが出来る場所、私の原点です。
里帰り講演会は3月5日土曜日18時半から諌早メモリードホールで開催。演奏や曲解説もあります。山口さんのインタビューの全文をご紹介します。講演会のお問い合わせは森さん090-1199-8862までお願いいたします。
1、音楽に興味を持ち始めたきっかけ
音楽を聴くと楽しそうに身体を動かす私の様子を見た叔父(ピアノ調律師)の勧めで3歳からヤマハ音楽教室に通ったので、自分自身の意思以前に音楽が身近にある環境を両親に整えてもらいました。ヤマハのカリキュラムに自作自演(自分で作った曲を自分で演奏する)が組み込まれていたので、曲も6歳くらいから作っていました。小さい頃からピアノを弾くのはとても好きでしたが、ピアノの練習をする(他人の作った曲を弾く)のは、小学校高学年になるくらいまではそんなに好きではありませんでした。ただ学年が上がり、いろいろな作曲家の様々な作品を弾くようになってから、俄然ピアノの練習へのモチベーションが上がりました。それでもずっと作曲は続けていて、やはり自分の曲を作ることが一番楽しかったです。音楽を将来的に自分の専門とすることは比較的早い時期(中学生の頃)に決めましたが、ピアノか作曲かというような選択ではなく、最初から「私は作曲家になる」と思っていました。
2、東京芸大に行く前の多感な時期に、触れた恩師の言葉や思い出
やはり何と言っても、ヤマハ音楽教室長崎うおのまちセンターの草野幸子先生にはお世話になりました。草野先生のところへは小学1年から大学入試直前の高校3年まで通っていましたが、先生はピアノを教えてくださっただけではなく、音楽全般への興味を開いてくださり、更に私に必要な出会い(作曲の先生やいろいろな楽器の演奏家)も必要なタイミングでアレンジしてくださいました。草野先生はとても厳しく、あまり誉められた記憶はないのですが、私ががんばれるように常にバックアップしてくださっていたと思います。そのことには今でもとても感謝しています。そうして草野先生を通じて知り合った先生方や音楽家の方々からも、音楽の楽しさや奥深さ・音楽を専門とすることの厳しさを教わりました。
3、ドイツを選んだ理由
音楽を専門として勉強を続けるうち、私が書いている音楽のルーツはヨーロッパにあることを強く感じました。その音楽が生まれた地に実際に住み、その空気を吸いながら自分自身の音楽の在りかたを見つめ直したいと思い、28歳でドイツの音楽大学に留学しました。現代音楽が盛んなヨーロッパの国は他にもありますが、私自身がクラシックも現代音楽もドイツ系の音楽が好きだったこと、ドイツの音楽大学で教えている作曲の教授とコンタクトが取れたこと、そして何よりドイツ語の響きが好きだったことが大きな決め手になりました。今でもドイツに住んでいる理由はたくさんありますが、一番の魅力は時間の流れが日本よりもゆったりしていることでしょうか。
4、オーケストラ作品「だるまさんがころんだ」に関する思い
この曲はデュッセルドルフで当時毎年行われていた文化フェスティヴァル「アルトシュタットの秋」の委嘱で1999年に作曲し、その年のフェスティヴァルで初演されました。私は当時まだ音楽大学の学生でしたが、私にとってこの曲は初めて公の場で演奏されたオーケストラ作品であり(それまでにもオーケストラ曲は数曲書いていましたが、実際に演奏されたことはありませんでした)、またドイツで初めてお金を頂いて書いた曲でもありました。幸運なことにこの曲が翌2000年の芥川作曲賞にノミネートされ、東京で行われたその本選演奏会に観客としていらした岩城宏之さんに聴いていただけたことは、私の人生の一つの大きな転機にもなりました。当時はまだ30歳、作曲の技術的には荒削りなところもたくさんありますが、若さゆえの勢いの良さが魅力でもあり、また今の私の音楽に繋がる要素もたくさんあり、私にとってとても大事な一曲です。
5、音楽を続ける理由
私が書いている、いわゆる現代音楽の社会における意味や認知度を考えると、本当に憂鬱になることばかりなのが現状です。現代音楽がこの世からなくなっても、誰も困りはしませんし、それどころか誰も気付きもしないかもしれません。でも私には表現したいと思うことがあります。言葉で、絵や写真や映像で、あるいはダンスや演劇など自分の肉体を使って何かを表現する人々がいて、そういう人たちを世の中は総じて芸術家と呼びますが、私は音楽(音)を使って表現することが一番得意なので、それを手段に自分が表現したいと思うこと、伝えたいと思うことを楽譜に書いています。そして演奏家を通して私の表現したいと思うことが聴いている人に伝わることを願っています。仮に私の音楽を聴く人が、私の意図と違う聴き方をしたとしても、私の音楽からその人なりに何かを感じてくれたら、その心の動きだけでも充分なのです。音楽には人の心を動かす力があると私は思っています。私が音楽を続けるのは、自分に表現したいことがあり、「音楽の力」を信じているからです。
6、曲作りの構想は、どのようなところから生まれるのか
私は普段から物事をじっと観察したり耳を澄ませて音を聴くことが好きです。そうした普段の生活の中で観察したことや聞こえてきた音が、後々曲を作るときの音のイメージに繋がることが多いです。空中を漂うクモの糸や水栽培の植物の根が伸びる様子、散歩中に聞こえてきた鳥の鳴き声など、すべてが自分の曲を書く際のインスピレーションに繋がる可能性があります。読書や映画鑑賞も好きなので、そういったものからアイディアを得ることも多いです。また、どういう楽器のために曲を書くのか、という楽器編成もとても重要な役割を果たします。曲を書くときは、あらかじめ楽器の編成を指定されていることがほとんどなのですが、その場合、楽器によって音域も音色も演奏技術も全く異なるので、それぞれの楽器の特性を出来る限り生かすよう心を砕きます。また複数の楽器を組み合わせる場合は、いくつかの楽器を組み合わせることによってしか出せない響きを作り出すよう心掛けています。
7、普段の生活と音楽との因果関係について、感じること
先ほどの質問への答えと少し重複しますが、私の場合は普段の生活と自分の書く音楽とはどこかしらでいつも繋がっています。ある人の書く文章が、その人の考え方や世の中への向き合い方を映し出すのと同じように、音楽も、作品にはその作曲家の意識や人生経験が映し出されるはずです。現代音楽の歴史の中では、そういう作曲家の背景や感情を全く反映しないことを前提に曲が書かれた時代もありましたが、私自身は音楽を通して表現することを目的にして曲を書いているので、普段の生活と私自身の書く音楽とを切り離すことは出来ません。
8、故郷へ寄せる思い
諫早は私が生まれてから大学に入るまで18年間過ごした街で、私の背景を作ってくれた大切な場所です。その後10年間東京に住みましたが、結局都会の忙しさに完全には馴染めないままにドイツへ移りました。今住んでいるデュッセルドルフという街は緑が多く、人ものんびりしていて、諫早にちょっと似ているところもあるような気がします。諫早で小さい頃に聞いた蛙の大合唱や山鳩の鳴き声、やさしい多良岳の山並みなどの様々な自然が今の私の音楽へ大きな影響を及ぼしていると思います。なかなか頻繁に帰省することはできませんが、帰ると本当にホッと力が抜けてくつろぐことが出来る場所、私の原点です。
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COCOLOは「こころ」って読みます、まだご存じない方よろしくお願いします。 by ぶっちゃー (06/05)
11月号発行! by きょうちゃん (10/31)